歴史家は伝統的にギリシャ数学の始まりをミレトスのタレス(前624-548年頃)の時代と位置づけています。 タレスの生涯と仕事についてはほとんど知られておらず、彼の生没年はおそらく彼が全盛期であった前585年の日食から推定されるほど、実にわずかである。 にもかかわらず、タレスがギリシアの7人の賢者のうちの1人であることは一般に認められている。 タレスの定理と切片の定理という2つの最も古い数学の定理は、タレスのものであるとされている。 前者は、半円に内接する角は直角であるというもので、タレスがバビロンで学んだと思われるが、伝承では、この定理をタレスが証明したとされている。 このような理由から、タレスはしばしば数学の演繹的構成の父、最初の真の数学者と称されるのである。 また、タレスは数学的発見をした人物として、歴史上最も早く知られている人物であると考えられている。 今日広く普及している論理構造を数学に導入したのがタレスかどうかは不明だが、タレスから200年以内にギリシャ人が論理構造と証明の考え方を数学に導入していたことは知られている。

オックスフォード大学自然史博物館のユークリッド像

ギリシャ数学の発展におけるもうひとりの重要人物はサモスのピタゴラス(前580-500頃)である。 ピタゴラスもタレスと同様、エジプトや当時ネブカドネザルの支配下にあったバビロンに渡った後、マグナ・グラエシアのクロトンに居を構えた。 ピタゴラスはピタゴラス団という秩序を作り、知識と財産を共有し、それゆえ個々のピタゴラスによる発見はすべてこの秩序に帰することになった。 また、古代では主人の手柄にするのが通例であったので、ピタゴラス自身も自分の教団の発見を自分の手柄にした。 アリストテレスは、ピタゴラスという個人の功績を認めず、ピタゴラスという集団の功績のみを論じている。 ピタゴラス教団の最も重要な特徴の一つは、哲学や数学の研究を追求することが、人生を営む上での道徳的な基礎になると主張したことである。 哲学(知恵を愛すること)と数学(学問すること)という言葉は、ピタゴラスが作ったと言われている。 この「知の愛」から、多くの業績が生まれた。 ピタゴラスは、ユークリッドの『元素』の最初の2冊の内容のほとんどを発見したと通説的に言われている

タレスとピタゴラスの研究を、後世や以前の数学者の研究と区別することは難しい。 しかし、ハンス・ヨアヒム・ワシュキースやカール・ボイヤーなど多くの歴史家は、タレスとされる数学知識の多くは、特に角度の概念に依存した側面が後世に発展したものであり、一方で、石板に刻まれたギリシャの法律文書に見られるような一般文の使用は、それ以前に登場していた可能性を論じている。 タレスやピタゴラスが実際に何をしたのかがはっきりしないのは、同時代の文書がほとんど残っていないからである。 唯一の証拠は、数世紀後に書かれたプロクロスの『ユークリッド』注釈書などに記された伝承によるものである。

タレスは、影の長さからピラミッドの高さを計算したり、海岸からの船の距離を計算するなど、幾何学を使って問題を解決したとされている。 また、「タレスの定理」と上記の「切片の定理」という2つの幾何学的な定理の最初の証明を行ったとされている。 ピタゴラスは、音楽の調和の数学的基礎を認識したと広く信じられており、プロクロスの『ユークリッド』の注釈によれば、比例定理の発見と正立体の構築も行っている。 近代史の研究者の中には、ピタゴラスが本当に5つの正方形すべてを構築したかどうか疑問視する者もおり、むしろ3つだけを構築したと考える方が妥当であるとする意見もある。 ピタゴラスの定理を発見したのはピタゴラスであるとする古代の資料もあれば、ピタゴラスが発見したのは定理の証明であるとする資料もある。 近代の歴史家は、原理そのものはバビロニア人が知っていて、そこから輸入した可能性が高いと見ている。 ピタゴラスは、数秘術と幾何学を宇宙の本質を理解するための基本的なものと考え、それゆえ彼らの哲学的、宗教的思想の中心をなしていた。 彼らは、無理数の発見など、数多くの数学的進歩をもたらしたとされている。 ギリシャの数学(特に数論と幾何学)が、明確な定義と証明された定理に基づく一貫した論理体系に発展し、エジプトやバビロニアの主要な関心事であった実用的な応用とは関係なく、それ自体が研究に値する科目と見なされたことは、歴史家の功績である

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